【時代の流れを目に映じる形で】 お笑いの時代の流れは目にはっきりと映じるものではないので、一般人はもちろん、芸人にすら、説明しにくいのだが、ここである説明を思いついたので書きます。 「富士山はキレイだ」というのは常識です。 例えば新幹線から富士山が見えるとみんな見ます。 この距離感が「富士山はキレイだ」という常識に対して等しい距離感だとします。実はこれがフリに対して等しい、近い=疑似という事なんです。 でも、実際に富士登山にこころみれば、体力的にも大変ですし、ゴミが落ちていたりもするようです。新幹線から見たような距離感で「富士山はキレイだ」と感じられないかもしれない。富士の樹海なんてのもある。ただその分またリアルな自然の美しさや達成感もある。 実はこれが共感というやつなのです。あるいは、強調という言い方の方が後々、誤解がないかもしれない。 この距離感は、「富士山はキレイだ」と感じられる距離感より、富士山に近づいている。 私がよくフリより近いと言っているのはこの事である。 つまり赤裸々に事実を語る事なのだ。 このパターンがウケた時代にウケたのが、細木数子やみのもんたであり、「ズバリ言うわよ」「朝ズバ」という番組名にもあらわれている。 そして今はどういう時期かというと富士登山の登頂に成功して下山し、しかも「富士山はキレイだ」という距離感も通り過ぎて、帰路に着こうとしている。まだ家には着いてないが、新幹線には乗っているであろう。確実に富士山は遠ざかっており、やがて目にも映じなくなる。これが意外性というものである。 「富士山はキレイだ」という常識から遠ざかる事なのだ。 そして家に着けばまた、富士登山に向かう時期があり登頂したらまた下山して帰路に着く。 お笑いの時代の流れはこの繰り返しなのである。 5/25^07:13 [コメントする] [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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