ファブリス・ムアンバ



ファブリス・ヌダラ・ムアンバ(Fabrice Ndala Muamba 1988年4月6日生)
 [コンゴ民主共和国・サッカー選手]


 キンシャサ出身。1994年にザイールの情勢悪化から父親がイギリスへと亡命。1999年にファブリスも家族と共にロンドンの父親のもとへ向かい、永住権を得た。11歳でロンドンへと移った当初、ファブリスは英語を話せなかったが、その後は英語、フランス語、数学で優秀な成績を収めた。

 2002年にアーセナルのユースチームに参加し、2004年8月にはアーセナルのアカデミーに加入。2005年10月にアーセナルとプロ契約を交わし、10月25日のカーリングカップ・サンダーランド戦でトップチームデビューを果たした。

 2006年8月に当時フットボールリーグ・チャンピオンシップに所属していたバーミンガム・シティへレンタル移籍。移籍当初は出遅れたもののレギュラーに定着し、献身的なプレーはパトリック・ヴィエラに喩えられ、バーミンガム・シティのプレミアリーグ昇格に貢献。ファンの投票によるバーミンガム・シティの年間最優秀若手選手にも選ばれた。

 2007年5月11日にはバーミンガム・シティへ移籍金400万ポンドで完全移籍し、3年契約を締結したことが発表された。2008年3月12日のポーツマス戦でコーナーキックからボレーシュートを決めてプレミアリーグ初得点を記録。リーグ戦では37試合に出場し、レギュラーの地位を盤石なものとしていたが、バーミンガム・シティは19位に終わり1年でチャンピオンシップに降格することとなった。

 2008年6月16日に移籍金500万ポンド、4年契約でボルトン・ワンダラーズへ移籍。移籍1年目からレギュラーに定着し、2009〜2010シーズンにはボルトン・ニュース紙が選ぶボルトンの年間最優秀選手に選ばれた。2010年8月7日にはボルトンと新たに4年契約を締結 。2011年10月27日にはカーリングカップの古巣・アーセナルとの一戦で得点を決めたが、試合には敗れた。

 2012年3月17日にホワイト・ハート・レーンで行われたFAカップ準々決勝のトッテナム・ホットスパー戦の前半42分、選手との接触のない場面で突然ピッチに倒れ込む。ムアンバは心停止状態に陥っており、ピッチ上で人工呼吸やAEDによる応急処置の後、ロンドンチェスト病院へと搬送された。搬送の途中で受けた心肺蘇生措置により心臓は動き出したものの容態は変わらず、集中治療室で治療を受けることとなった。

 試合はムアンバが倒れたことで中断され、その後審判団により延期が決定された。また、3月20日に行われる予定だったプレミアリーグ29節のボルトンとアストン・ヴィラの試合も延期になることが発表された。ムアンバにはアクシデントの直後から、数多くのサッカー選手やファンから回復を祈るメッセージが送られた。

 3月19日に入院先の病院で意識を回復し、自発呼吸も回復したことがイギリスのメディアで報道された。倒れた2週間後にはベッドの上で身体を起こし微笑んでいる写真が公開され、4月5日には歩行を再開したことがオーウェン・コイルにより明かされた。アクシデント時と同じカードとなった5月2日のプレミアリーグ第34節、トッテナム・ホットスパー戦では試合開始前にピッチに姿を見せ、両クラブのファンから大きな歓声を受けた。7月21日にはロンドンオリンピックの聖火リレーに徒歩で参加している。


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