本島等



本島等(もとしまひとし 1922年2月20日生)
 [政治家]


 長崎県生まれ。隠れキリシタンの末裔であるためカトリック教徒であり、母が未婚ということもあって、戦時中はスパイ疑惑を掛けられた。旧制高校在学中の21歳の時に徴兵され、見習士官として新兵に大砲の撃ち方を教えていた。終戦時は、所属していた西部軍管区教育隊・砲兵生徒隊の疎開先である熊本市郊外の山奥にいた。戦後、京都大学工学部に入学。在学中は京都カトリック学生連盟の委員長を務めたこともあった。27歳で卒業。その後、教員生活を経て、長崎県議会議員を5期20年務め、長崎市長となった。その間、自民党長崎県連合会幹事長などを務めた。

 昭和天皇が重病で余命が長くないと知らされ、日本国内に自粛ムードが漂っていた1988年12月7日、市長3期目の在任中だった本島は、市議会で共産党議員の昭和天皇の戦争責任に関する意見を求める質問に対し、海外の記事や自分の従軍経験から考えて「戦後43年経って、あの戦争が何であったかという反省は十分にできたと思います…私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇の戦争責任はあると私は思います」 と答弁。同日の記者会見でも「天皇が重臣らの上奏に応じて終戦をもっと早く決断していれば沖縄戦も広島・長崎の原爆投下も無かったのは歴史の記述から見ても明らかです」と重ねて発言した。元々は「天皇にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。私どももそれに従わなければならないと解釈している。」という趣旨の発言であったが、マスコミ各社は「天皇の戦争責任はあると思う」と言う部分だけを強調する形で報道した。

 本島の支持基盤であった自由民主党は本島に対して発言撤回を要求したが、本島は「自分の良心を曲げることはできない」として、これを拒否した。これに対し自民党長崎県連は県連顧問から解任し、多数の保守系組織が本島を非難した。また、多くの右翼団体(最大62団体80台の街宣車と260名の構成員)が街宣車で長崎市に集結、本島に対して「天誅」を叫ぶなど大々的に抗議活動を行った。脅迫事件も13件発生し、6名が逮捕された。また、本島を支持する署名活動も行われ論争状態にあった。このような右翼による活動の対象は菊タブーと呼ばれるものであり、言論封殺とされるものであった。最終的に本島は右翼からの要求を拒否し、この発言を撤回しなかった。

 発言から1年が経過し、昭和天皇も崩御し右翼団体による抗議活動も終息したかのように見えたことや、警備費用がかかりすぎるとの自民党市議の批判を受けたため、本島側からの要請で警察による身辺警護を解除して間もなく事件が発生した。1990年1月18日午後3時ごろ、本島が長崎市役所玄関前で公用車に乗り込もうとしたところ、背後から近付いてきた右翼団体正氣塾幹部の田尻和美に背後1メートルの至近距離から銃撃された。弾丸は左胸部に命中したが、肋骨に当たったため弾道が変わり心臓や大動脈などを外れ貫通したため、全治1ヶ月の重傷を負ったものの、奇跡的に一命を取り留めた。尚、被疑者は銃撃直後倒れている本島に「大丈夫か?」と声をかけている。なお田尻は、かつて本島が県議会議員時代にはタカ派で日教組打倒を主張していたにもかかわらず、市長になって「転向」したことから、話し合いを申し入れたが拒絶されていたという。

 その後、本島は1991年の選挙で左派勢力の協力などを得て4選したが、1995年の選挙では多選批判などを受け、自民党の推薦を受けた伊藤一長に敗れ、政界から引退した。2007年に伊藤が銃撃によって死亡した際には「2代にわたり市長が銃撃されるのは異常」とコメントした。2002年、第1回韓日平和交流功績賞、並びに、ドイツの功労勲章一等功労十字章が贈られた。2002年以降、左翼過激派との接近が顕著になり、中核派の機関紙『週刊三里塚』巻頭の「闘いの言葉」を執筆している。

 一方、本島を銃撃した田尻は殺人未遂罪等で起訴された。被告人の弁護人は、「銃撃は1発のみで左肩を撃っているから、殺意は無かった」として刑罰が殺人未遂よりも軽い傷害罪の成立を主張したが、動機からみて殺意があった事にまちがいないとして、1審も控訴審もこの主張を認めず、福岡高等裁判所が1991年9月7日の控訴を棄却し懲役12年が確定した。田尻は2000年に刑期満了で出所し、同右翼団体の創始者と養子縁組して若島和美となりNo.2の幹部となっている。2003年4月には長崎市長選に立候補したが落選。なお正氣塾はその後も1991年3月1日に意見広告掲載拒否をめぐるトラブルから長崎新聞社と長崎地裁に対する銃撃事件などのテロ事件を起こしている。また2006年8月に発生した加藤紘一宅放火事件を正当化する趣旨の声明を発表している。このテロ行為賛美の姿勢であるが『自分らはテロ行為を否定できない。話し合いだけなら、市民団体になってしまう』という理論を主張している。現在でも団体のウェブサイトは、「過去の主な活動」とするコーナーにこれらのテロ行為を「実績」としている。


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