トラヴィス・バーカー



トラヴィス・ランドン・バーカー(Travis Landon Barker 1975年11月14日生)
 [アメリカ・ドラマー/音楽家]


 カリフォルニア州フォンタナ出身。5歳のころからドラムを始め、ジャズやファンクを聴いて育つ。1998年、パンクバンド「ブリンク 182」に加入。1999年に発表した3rdアルバム『エニマ・オブ・アメリカ』が全世界で700万枚の売り上げを突破し、世界各国で数々の賞を総なめにするなど、爆発的なヒットを記録した。

 ブリンク 182の他に、ランシドのティム・アームストロングらとトランスプランツを結成し、活動していた。また、アヴリル・ラヴィーン、フロー・ライダー、ゲームなどのレコーディングに積極的に協力する一方、有名DJのDJ AMとともにパーティやイベントに参加している。彼自身、ヒップホップやダンス・ミュージックには相当造詣が深く、ブリンク 182が活動休止を迎えた2005年以降は、主にその系統のアーティストに対し、リミックス提供やドラム部分の楽曲提供を行っていた。その為、彼がドラマーとして参加した楽曲は非常に多く、その交流はヤング・ジージーやリル・ウェイン等の人気ラッパーを始め、ブリトニー・スピアーズを初めとするポップ・ミュージック業界まで多岐に渡る。

 プライベートでは、2004年に元ミス・アメリカのシャナ・モークラーと結婚、2人の子供にも恵まれたが、2006年8月8日に突如離婚をしている。

 2008年9月13日、トラヴィスのほかDJ AMら6人が搭乗していた小型飛行機が墜落。計4名が死亡し、トラヴィス自身も、足から腰までに第3級火傷を、そして両手に第2級以上の火傷を負う重体となった。当時、小型飛行機は12日の深夜に、サウスカロライナ州コロンビアのメトロポリタン空港を飛び立つ予定となっていたが、離陸に失敗し、飛行機は滑走路をそのまま飛び出しフェンスを乗り越え、その後、5車線のハイウェイを横切り、脇の土手にぶつかりようやく止まった。直後に飛行機は炎上し、操縦士、副操縦士、トラヴィスのアシスタント、トラヴィスのセキュリティガードの4人が死亡。生き残ったのは、トラヴィスとDJ AMの二人だけだった。

 事故は離陸滑走中にタイヤがパンクしたことと、操縦士の判断ミスが原因とみられている。タイヤがパンクした際、離陸決心速度を超えていたにもかかわらず、操縦士が離陸を中止したため、滑走路をオーバーランした。通常は離陸決心速度を超えた場合は必ず離陸しなければならない。

 その後、トラヴィスは自身のアパレルサイトで、亡くなった彼のアシスタントとセキュリティガードの遺族をサポートするため、追悼基金を設置し、寄付を呼びかけた。事故から約3ヶ月後の大晦日、トラヴィスはDJ AMと一緒に復帰ライブを行った。


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