トマス・ミジリー



トマス・ミジリー(Thomas Midgley Jr. 1889年5月18日生)
 [アメリカ・機械技術者/化学者]


 ミジリーは米国ペンシルベニア州ビーバー・フォールズに生まれる。父もまた発明家であった。オハイオ州コロンバスで幼い頃をすごす。1911年にコーネル大学で機械工学士を授与され卒業。

 ミジリーは米国の自動車会社ゼネラル・モーターズ(GM)の子会社デイトン・リサーチ・ラボラトリーにチャールズ・ケタリングの部下として勤務していた。1921年12月に、テトラエチル鉛をガソリンに添加するとエンジンがノッキングを起こさなくなることを発見する。デイトン・リサーチ・ラボラトリーは鉛が添加されていることを報告書や広告で触れないように、その物質を"エチル"(Ethyl)と呼ぶことにした。石油会社と自動車メーカー、特にその特許を保持していたGM社は、自分たちの利益とならないエタノールに代わるものとして精力的に有鉛ガソリン化を推進した。

 1922年12月、ミジリーはアメリカ化学会からウィリアム・H・ニコルズ賞を受賞している。これに続きいくつかの賞を受賞している。

 ガソリンへの鉛の添加は大気中に大量の鉛を放出する結果となった。ミジリー自身も、鉛中毒となり長期療養を必要とした。1923年1月にミジリーが記している。「有機鉛の中で一年以上も働くと、肺がやられてしまい、仕事をやめて新鮮な空気の場所に移る必要があった。」ミジリーはマイアミで過ごしている。

 GMはデュポン社に量産を委託し、委託業務の管理のために1923年4月、ゼネラル・モーターズ・ケミカル・カンパニーを設立している。社長がチャールズ・ケタリングとなり、ミジリーは副社長についた。しかし、デイトンで働いていたスタッフの話では、1924年にオハイオ州デイトンでおこなわれていたテトラエチル鉛の試作工場で2名が死亡し、数名が病気となり、デュポン社がプロジェクトからの撤退を考えはじめたきっかけとなったという。翌年、デュポン社のニュージャージー州ディープウォーターの工場ではさらに多数の死亡者をだしている。

 1924年、デュポンの従来型製法での生産スピードに不満をもったGM社は、ロックフェラー率いるスタンダード石油社と組み、エチル・ガソリン・コーポレーションを設立し、ミジリーを部長とした。ニュー・ジャージーにあるベイウェイ・リファイナリーに工場を建設し、危険度の高い高温でのエチルクロライド製法を採用した。ベイウェイ工場では当初の2ヶ月の間に、鉛汚染による症状が発生した。それは、幻覚症状を訴え、精神異常をきたし、引き続いて5人が死に至った。10月30日にミジリーは記者会見に臨み、この新しい物質に接触した場合でも『安全であること』を訴えた。この会見の際、ミジリー自身が自分の手をテトラエチル鉛に浸し、次いで、ビンにいれたテトラエチル鉛を鼻から60秒間吸い込んだ。さらにミジリーは、これを何の問題も無く毎日できる、死ぬことはない、と宣言した。しかし、工場はニュー・ジャージー州により数日後に閉鎖され、スタンダード石油はテトラエチル鉛の製造を禁止され、製造再開には州の許可が必要となった。

 ノッキングしないこのガソリンは、"エチル・ガソリン"という名前で販売された。この有鉛ガソリンは、1960年代に環境問題となる。

 ミジリーは1925年4月にGMCC副社長を辞任した。組織運営についての経験不足からだと報道された。彼はその後もGM社員にとどまった。

 1930年、GMはミジリーを家庭用器具で使用できる無毒で安全な冷媒の開発を命じた。ミジリーはクロロフルオロカーボンを発見し、フレオンと名前をつけた。日本ではフロンとして知られている物質である。ミジリーは、記者会見で自ら開発したフロン12を吸い、蝋燭の火を吹き消すことにより安全性をアピールした(だが、フロン12はフロン類の中ではたまたま毒性が低いものであり、他のフロン類は強い毒性がある)。それまでヒートポンプや冷蔵庫で使用されていた有毒で爆発性のある数多くの物質をフレオンが置き換えることとなった。さらにエアゾール・スプレーの噴射剤や薬の吸入器などでも使われた。ミジリーはこの貢献により、1937年にパーキンズ賞を受賞している。

 1941年、アメリカ化学会の最高の賞であるプリーストリー賞が贈られている。1942年にはウィリアム・ギブズ賞が贈られた。

 1940年、51歳の時にポリオを発症する。これはミジリーに後遺症となって残る。ミジリーはベッドから起きる際に綱とプーリーをつかった仕掛けを考案し使用するようになった。ところが、55歳のときこの仕掛けに絡まって窒息して亡くなっている。ミジリーはフレオンのオゾン層への影響が広く知られる前に亡くなったのである。

 有鉛ガソリンが米国から消えたのは1973年、Clean Air Act(大気浄化法)が路上走行用自動車に対して有鉛ガソリンを販売することを禁止したのが1996年である。しかしながら、米国内でも航空機、レーシングカー、農業機器、マリン・エンジンでは2008年まで使用が認められている。南アフリカ、アフリカ、アジアのいくつかの国、中東では、いまだ、有鉛ガソリンが一般的に使用されている。その一方で、GM社や石油メジャーとのしがらみが薄い日本では、1980年代初頭までには、航空用を除いて有鉛ガソリンは一掃されてしまった。

 モントリオール議定書では、フロン類の生産を主要国に対して禁じており、その他の国での生産も2010年までにやめて地球上からなくすこととされている。医薬品業界ではすでにフロン類を使用しない吸入器具としている。しかしながら、フロン類を使用したヒートポンプは、そのほかの物質を使用したものよりもはるかに効率がよい。そのため、『フロン類は環境を破壊する、よって使用は禁止されるべき』ということに対し反対を唱える人々が少なからず存在し、その動機付けとなっている。

 1944年11月2日死去(享年55)


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