大江美智子



大江美智子[初代](おおえみちこ 本名:竹内静子 1910年2月11日生)
 [女優]


 大阪府生まれ。1923年、宝塚音楽歌劇学校に入学し、満13歳で宝塚少女歌劇団に入団、12期生となる。当時は学校と劇団が分離しておらず一体であった。花組に所属し、主演娘役として活躍した。

 1930年の退団後、市川右太衛門の主宰する映画会社「市川右太衛門プロダクション」に入社、同年、冬島泰三監督の『雁金文七』でデビュー、続く同年の白井戦太郎監督の『上州無宿陣』で注目を集めた。同年の古海卓二監督の『旗本退屈男』では男役の霧島京弥役を演じ、スターとなった。

 1932年、日活太秦撮影所に移籍、松本房雄監督の『恋すればこそ』に主演したが、同社を退社、1933年、女剣劇の一座「大江美智子一座」を結成した。1934年、田中介二、酒井淳之助と大江をメインに東京に打って出た。大江の動きはこの時代に「女剣劇ブーム」を起こすに至った。

 1939年1月6日、剣劇『幡随院長兵衛』を上演中の神戸松竹劇場で、幕が下りたところで盲腸炎により倒れ、楽屋で死去した。志半ばの急逝に大江の名を惜しまれ、弟子の大川美恵子が継ぎ、大川が二代目大江美智子を襲名した。

 1939年1月6日死去(享年28)


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