大内登(おおうちのぼる 1974年6月3日生) [テレビプロデューサー/元お笑い芸人] 福島県出身。福島県立安積高等学校・明治大学卒業。1996年、大木淳と共にお笑いコンビ「ビビる」を結成。コンビではツッコミを担当していた。結成のきっかけは、大内がNHKの番組に出演していた大木の姿を見てなぜか興味を持ち、「相方になりたい」とはがきを出したことに始まる。そのはがきが大木の目に留まり結成に至ったものの、結成当時の大内はお笑いに関して何も知らない全くの素人であり、コンビ結成後の大木は大変苦労したという。当初の大木と大内の関係は「相方」というよりも、「芸人と、そのファン」といった感じだった。 1996年の結成以後、ラジオのパーソナリティーやバラエティ番組などで活躍する。そんな最中の1999年、日本テレビ系列のバラエティ番組『マチャミの全部いただきっ!!』のスキー場でのロケで、ビビるの2人はソリに乗って登場したが、事前に操縦の練習をさせてもらえず、しかも「顔が隠れる」という理由でヘルメットを装着させてもらえなかった。案の定大きくコースを外れ、レストハウスのコンクリート壁に激突。壁にあったゴミ袋と雪がクッションの役目をしたため命に別状はなかったが、相方の大木は第十二胸椎圧迫骨折の重傷(幸運にも紙一重で半身不随は免れた)、大内は頭蓋骨骨折と脳挫傷(3箇所)の重傷を負い、一時意識不明に陥り、生命も危ぶまれるほどの重態になったものの、奇跡的に無事生還。大木曰く「激突の瞬間、司会者席から笑い声がしたので(大事故には見えなかったため)オチをつけようと立ち上がろうとしたが、全身に力が入らず全く動けなかった。大内を見ると、鼻血を出してぐったりしていた」という。 2人はその後、なんの説明もなしに一時期レギュラー番組から姿を消すこととなった。また、スタッフはその事実を半年間隠し通し、番組が終了する間際になって初めて明かした。 復帰後も順調に活動の場を広げていたが、2002年4月、突然「ビビる」からの脱退と芸能界からの引退を表明する。相方の大木は、コンビ名「ビビる」の名を残し、ビビる大木として活動している。 ビビる脱退後は、一時イタリアンレストランの従業員として勤務の後、芸能事務所レヴィプロダクションズに勤務。その後テレビ番組制作会社のケイマックスに入社し、ディレクター・プロデューサー職を担当。バラエティ番組を裏方として支えている。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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